会社の元役員であるおじいちゃんに仕事で取材をしたんだけど、取材の本線とは少しずれたけど、「人生で大切なもの」を所々語っていた。しかも映像業界は素人なのに的を得た苦言を呈していたことに感心して、すっかり俺の中ではかっこいいおじいちゃんだ。昔バイクのマフラーをうるさいのものに変えに行った時のバイク屋のおじいちゃんと並んだ。こんなかっこいいおじいちゃんになりたいなって思う。尊敬できる大人はマジでいない。どうしたものか。やっぱり昔から大人はクソだという感想を変えてくれない世の中。俺も期待はずれの大人かもしれない、期待はずれの若者なのかもしれない。業界で今最も尊敬する人は一人いる。尊敬できる人に会うときは恋心に似た感覚を感じる。乙女というかね。唯一感じれるその人は俺の好きな監督の弟子である、俺の好きな監督のことを師匠と呼んでいる。撮影中1日一回その人のことが話題に出る。やはり破天荒な人だけあるなと思う。”俺の好きな人を好きな人を俺は好き”というこの図、すごくないか?

唯一「この人と仕事をしたい」って思える人である。

その人に思い切り怒られる夢を見てたら今日遅刻してしまった。実はその人に思いっきり怒られたことがない。だから怒られたかったんだと思う。

「怒られた」というワードでいえば、高校の時ひどく俺にだけ怒っていた(気がする)人が一つの体罰事件によってその人の表面的な部分が激変した。相当保護者に言われたっぽい。そのせいで全く怒らなくなった。笑顔も増えた。でも僕の目からすれば「怖かった」その人の見せる笑顔の九割は偽りの笑顔にしか見えなかった。チームは弱くなった。そして最後も不完全燃焼で乾杯した。最後までその人は穏やかな表情の人だった。俺はあんなに泣いたことは初めてだった。最後の試合までの2年7ヶ月ほどの期間は俺にとって色々ありすぎた。本当に苦しかったのだ。俺は泣いた、誰よりも泣いていた。着替えて最後コーチ一人ずつ話す、解散を告げる時だ。選手たちはコーチを囲み話を聞く。その人の出番になった。最後もこの人は穏やかに喋った。それを聞いてまた泣いている。試合終了からだいぶ経っている。まだ泣くのかよってみんな思っただろう。最後まで変わった人のままで終わってしまったことが悔しくて泣けてきたんだ。最後に思ったのは「もっと怒って欲しかった」だった。厳しくしてくれ。率直な俺の思いだった。

高校卒業を間近にサッカー部の送迎会のようなものが開かれた。俺はバイトだって嘘ついて休んだ。サッカーは好きだけどサッカー部は嫌いだったから。家にいると母親が帰ってきた。母は参加していた。森さんが言ってたよ。あいつはがんあbった誰よりも頑張ったそれはみんな認めていると思います。これはみなんわかっています」そう言ってたよと言った。そのときは止めた。心の中は洪水だ。苦しかった期間が報われた気もしたし、あの人にあって直接聞きたかった。それと自分の口で面と向かって言いたかった後悔があった。「もっと怒って欲しかった」と。

そのとき胸に刻んだんだろうと今になって思うのは、ちゃんと頑張っている人を見る。それがどれだけそいつの救いになるか俺は知っているから。

俺は今でも直接会って言いたいと思っている。

さっき述べた俺の尊敬できる人はそれを感じられるんだよね。「ちゃんと見てる」それを感じる。俺がどんなにダメな大人であろうと「ちゃんと見てくれてる」って思われる大人でいたい。